悲しみは愛しさとともに-Grief is Love-


「グリーフケアは要らない」という声が自死遺族にはある


             上智大学 岡 知史
        全国自死遺族連絡会 田中幸子
                  明 英彦

ケアできない「悲しみ」もある
 「グリーフケアは要らない」と考えている自死遺族がいる、と聞いたら、保健師であるみなさんはどう思われるでしょうか。
 「それは、たいへんだ。そういう人こそケアしなければ!」と思われるでしょうか。支援を拒否する「より困難なケース」を考えてしまうでしょうか。それとも自暴自棄になって、人生を投げ捨てしまったような人を思い浮かべるでしょうか。
 私(岡)が出会った自死遺族たちは「グリーフケアは要らない!」と言っていましたが、決してそのような人たちではありませんでした。
 その遺族たちは、みずからの体験を同じ体験をしてきた遺族だけで「分かち合う」自助グループに集っていました。その集いがあったからこそ、遺族たちは勇気をもって「グリーフケアは要らない」と宣言することができたのだと思います。
 「グリーフケア」を拒否するには、たいへんな勇気が必要だったことでしょう。なぜなら「自死遺族にはグリーフケアが必要だ」と「専門家」なら誰でも声をそろえて言うような時代なのです。そんな時代に「専門家」ではない人々、特に「社会的弱者」と否応なく彼らから見なされてしまった人々が、個人の生活においては深い悲しみを心に湛えたたま、国や自治体のバックアップを得ていまや大声で叫んでいるような「専門家」を前にして、はっきりと「否(ノー)」と発言しているのです。

悲しんでいる人を憐れな人だと思っているのか
 自助グループに集う遺族たちが「グリーフケアを拒否する」というとき、それは「より良質のグリーフケアを要求している」のではありません。つまり「心のこもっていないグリーフケアは要らない」とか、「訓練されていない人からのグリーフケアは要らない」と言っているわけではありません。
 遺族たちが「グリーフケア」を要らないと言うのは、一つの明確な理由からです。つまり「自分たちの悲しみはケアされようがない」と思っているからです。その深い悲しみは、ケアされることなどないのです。まして、同じ体験をもたない人からは、どんな技巧を駆使した働きかけを受けても、その悲しみの深さには届かないと遺族たちは考えています。
「悲しみがケアされようがないなんて、それこそ悲しすぎる」と、あなたは思われますか。しかし、それが真実なら人間は受け入れるしかありません。そのあまりに重い真実をそのまま受け入れることを決意した遺族が、自助グループに集っています。
 それだけの厳しい決意をした人々を私(岡)は敬いたい。もしも、それでもなお「グリーフケアは要らない」という遺族たちは「実はケアを必要としているのだ」と主張する「専門家」がいたら、私は問いたい。「あなたは、悲しんでいる人を憐れだと思っているのか」と。もしそうだとしたら、たいへん傲慢なことだと思う。私たちのうちどれくらいの人々が、いま遺族たちが向かい合っている真実と同じくらい重い真実に目を向けているだろうか。

遺族は「病人」ではない
 「グリーフケアの専門家」を遺族たちが嫌がる一つの理由は、彼らが遺族たちを「ケアを必要とする病人」として扱うからです。
 「病人」とは病(やまい)に苦しむ人です。病人は「病」が一刻も早く無くなり、「病」から回復することを望みます。そのためには誰かの手、特に専門的知識をもつ人の援助も求めます。なぜなら「病」の治療法は「病人」本人よりも医師などの専門家のほうが良く知っている場合が多いでしょうから。
 しかし、遺族の「悲しみ」は病(やまい)なのでしょうか。愛する息子や娘が亡くなって「悲しむ」のは人として当然のことです。悲しまないほうが、かえって「病気」であるように思います。五年、十年、二十年と育ててきた子どもを亡くした親が、数年でその悲しみから回復されるでしょうか。
 遺族の「悲しみ」が「病」とされるとき、その「悲しみ」が自分の愛する家族の思い出と一つになっているものであるにもかかわらず、遺族は自らの「悲しみ」を捨てることを「専門家」から強いられているように感じます(専門家はそれを「回復」と言い換えていますが、同じようなことです)。
 またその「悲しみ」が、遺族一人ひとりにとって特別なものであるにもかかわらず、「専門家」は、あたかもそれが自分たちにとってはすでに知っている事項であるかのように考え、一般化し「処方箋」を与えようとします。
 そのときに多用されるのが次に述べる「悲嘆回復のプロセス論」です。

「悲嘆回復のプロセス論」は遺族の心情を否定する
 「悲嘆回復のプロセス論」は、おそらく「グリーフケア」の核になっている考え方でしょう。少なくともグリーフケアの「対象」となっている自死遺族からすると、そう見えるのです。
 「回復させる」ことが、グリーフケアの専門家の「腕の見せどころ」なのでしょう。「回復させる」ことができないのなら、治療できないということであり、これは専門性の敗北です。ですからそれは専門家の沽券(こけん)にかけても認められないわけです。
 「回復」を良しとする専門家にとっては、いつまでも悲しみを湛(たた)えている人は「病的」です。「問題」であり、「処遇困難ケース」であり、要するに「継続することが望ましくない状態」にある人です。「悲嘆回復のプロセス」の図を使えば、下位の段階でとどまっている「不幸な人」「前進しない人」とも言えるでしょう。
 しかし、そのような考え方は「私の悲しみはケアされようがない」と考えている遺族を否定するものです。「私が回復するのは、息子が(娘が)生き返ったときだけだ」と言う遺族の声があります。その声を「病理的だ」とするのが「悲嘆回復のプロセス論」でしょう。なぜなら、その声は(誰もが望んでいるはずだと「専門家」が思い込んでいる)「回復」を拒絶しているように聞こえるからです。

「愛」からの「回復」はありえない
 「悲嘆回復のプロセス論」の間違いは、遺族の「悲しみ」は、家族への愛と一体なのだという自明の事実を軽視していることでしょう。「愛からの回復」はありえないように、自死遺族の悲しみからの回復もありえないのです。
 「悲嘆回復のプロセス論」のなかでは「悲しみ」は、できるだけ人間はそこから離れているべき「悪」として描かれているようです。なぜなら、プロセスが進むにつれて「悲しみ」が遠ざかり、それだけ人間が幸せになるとされているからです。これでは「悲しみ」は心を痛めつける害毒のようで、遺族の「愛と一体である悲しみ」とは、あまりに姿が違いすぎるのです。
 「悲しみもまた私たちのもの」と、自死遺族たちは主張します。「悲しみ」は「専門家」やボランティアなどの他者に治療してもらうような「病」ではなく、また大切な自分の身体と同じように切って取り除くようなものでもありません。また「私の悲しみ」は「私」とともにあり、「私」が最も良く知る者なのであり、どんな「専門家」といえども、「私」よりも「私の悲しみ」を知っていると言うことを許さないということです。
 「愛しい」と書いて、「かなしい」とも「いとしい」とも読みます。昔日の日本人は「愛(いと)しさ」と「悲しさ」が一つのものとしてあることを良く知っていたのではないでしょうか。三回忌、七回忌、十三回忌と、五十回忌まで続く日本の法事の伝統は、死者とともに生きることを知っていた私たちの先祖の知恵だったのかもしれません。

保健師たちに望むこと
 最後に保健師たちに望むことを書いておきます。
 「グリーフケア」の必要性が国をあげて叫ばれていますが、その「グリーフケア」なるもので傷つけられている自死遺族がいることも忘れないでいただきたい。
 「グリーフケア」は精神科医などが誇示する高い専門性に依拠し、国と自治体の承認と奨励という権威に守られて、ボランティア的な善意で行われているという、いかなる反論も許さない条件のもとでたいへんな圧迫感とともに与えられているのかもしれないということを覚えていてほしい。
 そうすれば、わずか数時間のセッションに参加しただけで「悲しみが減った」という結果を数字で表現させられ、遺族に「もう二度と来るものか」という悔し涙を流させた「グリーフケア」がなぜ全国各地で行われていたのかがわかるでしょう。そして、行政の肝煎(きもい)りでつくられた「癒しの場」に、なぜ自死遺族が集まらないのか、来たとしてもなぜ再び足を運ぼうとしないのかがわかるはずです。
 自死の予防も大切ですが、防ぐことができなかった自死もあるはずです。その事実の前に耐えながら生き続けている遺族たちを「病人」扱いせず、まして「問題」とはせず、避けられなかった重荷を負った人であるとして敬意をもって接していただきたいと思う。
 言うまでもなく、私(岡)が接した自死遺族はすべての自死遺族の姿と重なるというわけではありません。「グリーフケア」を積極的に求める人もいるし、鬱などの精神症状をもち、「病人」としての扱いが必要な人もいます。
 しかし基本は同じだと思っています。遺族の声に耳を傾け、その意思を尊重するということがどこまでも求められるのだと思います。

(月刊 地域保健 平成22年3月号)



癒したい人の卑しさ


             岡 知史 上智大学 総合人間科学部社会福祉学科

 いまから書くことは、かなり毒を含んでいる。少なからぬ読者からお叱りを受けるかもしれない。しかし、ここ数日つづけて、それを考えさせられることがあった。福祉にかかわる者の一人として自戒をこめて書いているのだと大目に見ていただきたい。
 それは「癒したい人の卑しさ」ということである。「卑しさ」とは言い過ぎかもしれない。しかし、語呂が良いから、そうしておこう。
 人を癒したいと考えている人がいる。そういう人すべてではないが、そのなかには人として卑しい心持ちをしている人がいるということだ。そういう人たちは自分では気づいていない。人を救いたい、あるいはすでに救っているという自負があるし、またその姿勢が社会的に評価されていると思いこんでいるから、余計にその卑しさが目立ってくる。
 思いつくままに、そういう人の様子を描いてみよう。
 ある人は誰かを癒したいと思っているから、自分よりも弱いと思える人を探している。誰か傷ついている人はいないか、血を流してうずくまっている人はいないかと目を皿のようにして周囲を見回している。
 そして、そういう人を見つけたら、嬉々(きき)として近づく。その前まできたら、心の底からわき上がってくる喜び(人を癒せるという喜び)からくる笑顔を無理にでも消そうとする。この笑顔を消すことは訓練をして学んでいる。結果として、心配そうに眉をひそめた「作り憂(うれ)い顔」が浮かび上がる。普通の人は「作り笑い」しかできないが、こういう人は「憂い顔」さえ作ることができるのである。
 そして「泣いている人」が、そのまま泣いていてくれたら嬉しいし、まして、自分の腕のなかで大声で泣いてくれたら、これに勝るものはない。そのあと「泣くことができてすっきりしました」と言われたら、その脳裏にイエスと荒野に捨てられて泣き叫ぶ人とが出会う絵が重なり、それこそ天にも昇る気持ちになるだろう。「癒し人」の冥利に尽きるというものである。
 しかし、その泣いていると思った人が思いがけなく力強い声で答えたなら「癒したい人」は戸惑うだろう。彼は「強い人」よりも「弱い人」を求めている。ときには「弱い人」を求めるあまり、人の弱いところを暴(あば)き出し、「ほら、あなたにはこういう弱さがある」と指し示す。それで相手が自分を「弱い」と認めたらそれを喜んで慰め、認めなかったら「強がっている」と非難する。
 彼は癒そうとする相手と自分とは「対等だ」と口では言うものの、慈父あるいは慈母のように一段上から見ているつもりで、本当のところは自分の優位を信じて疑わない。そして一度でも自分が「癒した」と思う相手が、その後どれほど飛躍しても、あれはかつて自分が癒した者だと公言し、その人がいつまでも感謝し、自分の前に頭(こうべ)を垂れることをどこかで期待している。
 言葉と笑顔だけで癒すのは、もともとは宗教者の仕事であったはずだ。そして宗教者は神仏の道具として人を癒していたのであり、それを自分の力とは思っていなかったと思う。それを自分の知識や技術や能力で癒すことができると思うから人品の卑しさが際だってしまう。
 誰かを癒したいと他人(ひと)の涙を探す人に憤(いきどお)っている人は存外、少なくない。苦悩を自らのものとして受けとめている人は誰かに癒されることを待っているわけではない。その耐える姿に敬意を払うことが、まずは求められるのだろう。

(二〇〇九年十月<サロン・あべの>第二八〇号)



悲しみもまた私たちのもの


             岡 知史 上智大学 総合人間科学部社会福祉学科

 悲しみに沈んだ人がいる。その人を見るにみかねて助けたいという人が現れる。「どんな悲しみがあるか知らないけれども、時が解決してくれるものだよ」とか、「物事は考えようだよ。この美しい青空を見てごらんよ」と言葉をかけて励ますのだが、悲しみに沈んだ人は、いっこうに耳を傾ける様子はない。そして「私の悲しみも私の一部なのです。私が私の悲しみと向かいあってすごしている静かな時間を乱さないでください」と言う。
 悲しみにある人が、しばらくそうしていると、今度は「心を癒すことが仕事だ」という人々が現れる。そして、こうすれば悲しみを乗り越えられるという方法を教えようとする。彼らが示すのは「悲しみからの回復」である。どうやらそこには段階があるらしい。彼らが言う通りにすれば、階段を一歩一歩のぼるように悲しみから回復できるのだという。
 しかし、悲しみにある人は、それは登れるような階段ではないことを知っている。深い穴の中なのか、高い山の頂上のようなところなのかはわからないが、身動きできないことは確かなのである
 愛する我が子を自死で亡くした親たちの気持ちは、きっとそのようなものだろうと私は想像している。その悲しみは時が解決してくれるものでもなく、「時がたつにつれて、ますます深まっていく悲しみがある」と、息子を亡くしたお母さんは私に語っていた。
 癒されうる悲しみがある一方で、どうしても癒されない悲しみがある。一人娘を自死で喪ったお父さんは「私は遺族ケアとか支援とかという言葉は嫌いなのです。(私の悲しみは)ケアされようがない、支援されようがないのです」と語っていた。
 現在、自死遺族のケアの必要性が多くの専門家によって指摘され、法律も行政がそれに取り組むように指示している。しかし、そこには「ケアされようがないほどの深い悲しみがある」という可能性は考えられていない。「どんな悲しみでもケアによって軽減される」と誰かが経験的に証明したとでもいうのだろうか。
 唐突だが、私はここで「障害もまた私の個性である」と身体障害者たちが主張し始めたころの、医療・福祉関係者の戸惑いを思い出すのである。障害者にかかわる「専門家」の使命は「障害を無くすこと。無くせなくても軽減させること」であった。だから「障害も私も一部だ」と障害者たちが言い始めたとき、「専門家」は自らの専門性を否定されたようにも感じたに違いない。
 たしかにリハビリテーションや手術によって軽減され、あるいは無くなる障害もある。しかし、そうではないものもある。無くならない障害を正面から受けいれ、それをかけがいのない自らの一部として組み入れたとき、社会を大きく動かす障害者運動が始まったのである。
 自死遺族の市民運動も「悲しみは私たちのもの」と高らかに宣言するとき、力強い一歩が始まるのかもしれない。訓練で身につけた技法や頭で覚えた理論など、人間が後で身につけたもので、人生の最も深淵な死の悼みを救えるはずがない。それを認めたいか認めたくないかにかかわらず、ダチョウが空を飛べないように、蝶が水中を泳げないように、遺族ケアはある人々の前には無力であることは否定できないのではないか。生死の根源の苦しみを自ら体験した者だけがもつ威厳に、「専門家」は沈黙するしかない。それを「救える」と考えること自体がおこがましいのだ。
 「障害も個性の一つ」という考えは、社会的に広がっている。それでもリハビリや医療の重要性は誰も疑ってはいない。両者は共存できるのである。遺族ケアも「悲しみは私たちのもの」という遺族の主張を認め、それを前提としたときにこそ新しい段階に進むのだろう。

(二〇〇九年八月<サロン・あべの>第二七八号)



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