秋田県北の小さな町で寺を営みながら自殺予防の活動をしています。町外に出ていた檀家の人が先日、自死で亡くなり、葬式で遺族に言いました。
「体の病気で亡くなった人なら、皆、元気なころの思い出を語るでしょう。心の病気で自死した人ならできないというのはかわいそう。同じように考えよう。こんなことをしてくれたね、優しかったね、と話そうよ」。親族の人たちには別室で言いました。「いま一番悲しんでいるのは、一緒に暮らしてきた家族。傍らに寄り添ってあげよう。それが大人の振るまいではないでしょうか」

私も実は自死遺族にどんな言葉を掛けたらいいか、悩んでいました。自死の問題にかかわったのは平成五(一九九三)年から。秋田県は自死が多い。何とかできないかと念じながら、なかなか話せず、避けたいとさえ思っていた。でも、特別ではなく、ほかの原因で亡くなった人と変わらずに遺族と話せばいい。そうなれたのも、藍の会(仙台自死遺族の会)との交流から力をもらったからです。
悲しい、苦しい、つらい、というものを今、日常からなくそうとしている世の中ではないでしょうか。快適に便利に。文明がそういう方向に動いていると思えます。医療技術も、それを使命として発展してきたよう。その力の強さに、つらくなった人たちが「過剰な医療はもういい」と、ホスピスをつくってきた。
自死の問題とともに取り組んできたのが「ビハーラ」という、終末医療に宗教者としてかかわる活動です。末期の患者さんの精神的、霊的な痛みの緩和に役立ってもらえる、と医師や看護師から歓迎されたのですが、病院の経営者からは邪魔者視されました。「坊さんなど縁起でもない。病院の評判を落とす」と。
最近は変わってきた。月一回、秋田市のホスピスを訪ねたり、患者の話を聞いたりしています。そうして命の問題を仏教の視点から見詰めた時でした。「悲しみには力があるんではないか」(中略)。「痛まない、苦しまない、悲しまない」という文明の流れに逆らってみよう(中略)。

悲しみはどこから出て来るのか、それは優しい人だから。優しいから、悲しんだり、人の死を悔やんだり、苦しんだりする。でも、深い悲しみを知る人からこそ、真の慈しみは生まれるのではないでしょうか。(七月二十八日、仙台市での藍の会一周年記念講演から)

                      (平成十九年八月五日 河北新報より)
inserted by FC2 system