みなさんおはようございます。私は河北新報で編集委員をしております寺島と申します。
今日は司会をさせていただきます。つたない点をどうぞご容赦ください。

ひとつ申し上げたいと思ったのはですね、声があれば、その声を出す人のところに行ってまず話を聴きなさい、というのが、私が新聞の仕事で身上としたいと思っているようなことなんです。ただしかし、その私たちの周りにはなんと言いますか、見えない声がたくさんあります。確かにそれはあるのに、あまりに小さくて、あるいは我々の聴こうとしない姿勢のため、そういったものもあって、私たちの耳には届かない、苦しみ痛みに誰も気が付かない、そんな見えない声があります。

その中で、自らの肉体を削るようにして、言葉を発して、それを見えるようにする人たちもいます。それが、見えなかった声が、集う場をつくって、小さい、でも強い流れになって、自分達を変えたり、周りの私たちも変えていく。私はこれまで取材でですね、例えば、重度の障害のある子供さんたちのお母さん、あるいは癌やALSの患者さん、そういった人達で、勇気をもって声を発して、たくさんの声をつなぐ運動を始めた人に出会ってきました。この藍の会の田中幸子さんもそんなお一人です。そのとても不思議なご縁でですね、初めてその声にわたしが触れた、聴いたというのが去年の5月でした。息子さんを自死亡くされて、その悲しみ苦しみ、そして怒り、そうしたものに自ら傷ついて、当事者の言葉を拒むような無関心とか、肩書きの社会だとか、そういったものに苦闘されていました。そして、自ら遺族がつながる場をつくろう、そうしてそれを形にされたのがちょうど1年前の7月。それから一年のことをですね、私はちょうど今週、河北新報で「遺族達の旅立ち」と題する5回の連載に書かせてもらいました。そこで改めて会に集う皆さんのお話をうかがって、藍の会につながった人たちというのが、わかちあいから新しい縁をつないで、悲しみ苦しみから力を得て、ひとりでどこかで苦しむ人たちに、みんなで支えあって生きようと、そういうふうにメッセージを発しているそういうお姿に触れました。人は強くなれる、変われる、悩み苦しむ自分の中にその力がある、そういったことを教えてもらいました。今日会場の入口であの可愛いふくろうのお人形をもらった方、たくさんいらっしゃると思います。あれは「不苦労」、つまり苦労せず、みんないっぱい苦労してきたんだから、これからは苦労しないで、みんなで元気になっていこう、そういうふうな願いを込めた人形です。それも藍の会につながった、そうして過ごされたそういった方が作ったものです。またその小さかった声をですね、勇気を持って綴った「会いたい」という文集もご覧になったかと思います。たったひとりの遺族の孤独な闘いから始まった小さな運動がですね、あの人形の一針一針、あるいは文集のひとつひとつの言葉になって、また私たちの心をつないでくれるのではないかというふうに思います。あの連載の間ですね、田中さんのお宅にはもう560本くらいの電話があったそうです。そういう新しい出会いの縁が、また今日の会場に来られている方にもつながっているのではないかと思います。どうぞこの1周年の会から皆さんたくさんのメッセージを持ち帰ってください。それでは改めまして田中幸子さんご紹介します。

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