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みやぎ自殺対策シンポジウム2007(2007年8月25日 於:仙台市シルバーセンター)
自死遺族の声を聴く 千葉 勉

 私はこのような場所でお話しをするのが大変苦手です。でも、どうしてもこの娘たちのために話さなければならない事があります。それはいじめです。娘はいじめが原因で病気になり、そして自殺しました。その経緯をお話ししたいと思います。
 この陰湿ないじめの背景には大人たちが関与しています。いろんな職業の方、いろんな人たちが人から人へ、そして学校へと、学校の不良たちに頼んでいじめをさせました。この写真の娘が十二歳、姉が十四歳のとき、茨城県の大洗に引っ越しました。いじめはそこでありました。特に妹がひどいいじめにあいました。そのいじめの内容ですが、娘から聞いたありのままをお話ししたいと思います。
 ある日、娘たちとテレビを見ていました。その時、偶然にいじめを受けて弁護士になった女の人が出ていたのです。それを見て、妻が「いじめを受けても立ち直って弁護士になった人が出ているよ」と言いました。その時、娘が初めてです。いじめに関して口を開いてくれたのは・・・このように言いました。
 「お父さんお母さんは何も分からないかも知れないけど、私は転校したとき、中学三年生の頭を金髪にした不良たちが二十人くらい来て、私を脅し、そしてトイレの中に連れて行き、押し込まれた。それが一日に何回も授業が終わる度に続いた。それが怖くて、怖くて、未だに夢にまで現れるようになった。それから教室では男の生徒が三人で、私は盗んでいないのに、お金を盗んだのは千葉だ、とそれを言いふらして、クラスの人が全員その人の真似をして、千葉が盗んだ!千葉が盗んだ!と言うようになった」そして先生は、「本当に盗んだのか、千葉?」と言ったので、「いいえ私は盗んでいません」とハッキリ言ったそうです。そうしたら、先生は教室の後ろに全員座らせて目をつぶらせ、「やった人は黙って手を挙げなさい」と言ったそうです。「誰か手を挙げたのか」と訊くと、「誰も手をあげない、逆に後ろのほうから男の低い声で、千葉、早く手を挙げろ、みんなに迷惑かかるから」と・・・。「それでどうなったんだ?」と訊くと、「盗んだ人が分からないために私が犯人にされたままだ」と・・・。その時、私は「その三人だ!お前にいたずらした人達は」と言いました。
 学校ではそのようにいじめられ、家に帰る途中でまた、不良たち十人くらいに呼び止められ、「千葉金を貸せ」「お金はないんです」と言うと、「売春でもやってこい」と、そのように毎日下校時にいじめられていたそうです。いろんな因縁をつけられて、いつも囲まれていたようです。そのため、娘はいつの日か保健室で勉強するようになりました。保健の先生は「私が分かるところだけ教えてあげていた。私がいればこういう事は起きなかったかもしれない」と言っていた、とある人から聞きました。
 それからお姉ちゃんのほうはどうなんだと訊きました。「私もトイレに行くとき、廊下を駆け足で逃げて歩いていた」と・・・。「なぜなんだ?」と訊くと、みんなが「千葉死ね!千葉死ね!」と言うのだそうです。「同じクラスの子か」「中学三年生の全員が言う。それを真似して、全校生が罵声を浴びせる」そうです。このように二人は毎日いじめにあっていたわけです。心の休む暇がなかったのです。それでも姉のほうは高校に行って、強い人が側についたため、なんとかなったようです。
 しかし、妹のほうは保健室の先生が異動になったのです。そうすると妹は頼る人がいないわけです。学校でかばってくれる人がいなくなったのです。そのため、学校を休みがちになるわけです。「今日は運動会の練習だから勉強が無い」とか「今日は写生会だから勉強が無い」とか、いちいち理由をつけて休むようになりました。それがある日、スカートが汚れて、泣いて帰ってきたのです。その時たまたま妻が仕事を休んでいて家におりました。その時休んでいなかったら、まだいじめは分かりませんでした。
 「どうしたんだ?」と訊くと、泣きながら「不良たちが私を七人で神社に連れて行って脅かして、神社には十七歳の少年院あがりの少女がバックについて、鉄の棒を振り回して、七人に一人ずつ私とケンカをやらせたのだ」と言いました。七人とひとり・・・。それで泣いて帰ってきたのです。
 しかし、学校側は何をやっていたのでしょうか。一年生で転校したとき、すでにいじめは始まっているわけです。まして保健室に逃げていて、一人で勉強していたのですから、現実にいじめはあるということです。なぜいじめに対して適切な対応をしてくれなかったのでしょうか。あまりにも教育者としての責任がなさすぎると思います。せめて担任の先生くらいはこのようなことを言って欲しかったです。
 「今、千葉さんは保健室で一人で勉強しています。先輩の真似とか他の生徒の真似をしないでください。誰か心当たりはありませんか。もしも皆さんが他の学校へ転校したとき、千葉さんみたいに二級上の不良達が何十人も来て脅かされ、毎日トイレに押し込まれたらどうでしょう。しかもそれが長く続くのですよ。怖くて、怖くて、勉強は身に入らないと思います。それから同級生に同じクラスの子に盗んでいないのに盗んだと言われたらどうですか。辛いでしょう。苦しいでしょう。そうしたら、どっちが悪いのですか。小学一年生でもわかりますよね。そしたらやめましょうよ。いじめを。皆さんが今保健室にいって千葉さんに声をかけてあげなさい。一人で勉強していますから、かわいそうだと思いませんか。皆さんがそのようにしたのですよ。人を助けるとか人に手を差しのべてあげることは良いことです。それが本当の正しい人間なのです」このようなことを言っていただければ、生徒の状況も少しは変わったのではないかと思うのです。
 それで、娘はもう学校へ行きたくないと言いました。「じゃ引っ越すか」「どこへ行ってもいたずらされるね」「じゃ、水戸へ行こうか」「もう茨城県はいやだ。一人もかばってくれる人もいないし、味方になってくれる人もいない。全部いじめる人ばかりだ」「じゃどこへ行く?」「宮城県に帰りたい」と言うのです。それで宮城県に帰ってきました。帰ってきたけれど、娘の精神状態はボロボロでした。高校は何とか間に合いましたが、一週間目で行かなくなりました。「どうして行かないんだ」と訊くと、「また同じことになる。また不良が声をかけてきた。仲間に入れ」と・・・。それで行かなくなったのです。
学校に行く前にいつも額に汗をかいていましたので、「どうしてお前はいつも額に汗をかいているんだ?暑くないのに」と訊きましたら、「トラウマだ」と「フラッシュバックだ」と言うのです。聞きなれない言葉なので、それはどういう意味だと訊きますと、「いじめられたことが残っているんだ。それが心に残っているんだ。現実にそれがよみがえってくるんだ」と言うのです。額の汗は冷や汗だったのです。
 それで学校に行かなくなり、近くの精神科に二、三ヶ所通院していました。そこで精神安定剤をもらっていました。私も何回も送っていたのでよく憶えていますが、それでも良くなりませんでした。それで娘は教会に行きました。頭から聞こえてくる声、それからトイレに入れられた夢、怖いその夢が現れないように、神さまにお祈りをして治してもらうんだ、と言っていました。
 しかし、教会に行ったのはいいのですが、入ってはいけなかったそうです。人が大勢おりますから・・・。そのため、一番後ろに育児室があるんですけれど、そこでガラス越しに話を聴いていたそうです。その期間はどの位かかったのかわかりません。そのときの思いを書いた娘のノートがありますから、読んでみます。
 「イエス様へ
今日も私の心は悩んでいるままです。聖書にきこうと思ってもどこを読めばいいのかわかりません。イエス様どうか教えてください。生きていくこと、愛すること、どんな意味があるのでしょうか。私はいつも不安です。イエス様、どうか助けてください。助けてください。聖書のどこを読めばいいのか教えてください」
 「イエスさまへ
今日人の前に出られて、人の中にいることができました。本当にうれしくて、うれしくて、仕方がないです。だって、今日も絶対無理だと思っていました。これは絶対自分の力じゃないって、感じました。イエスさまは私が悩んでいることを本当に知っていて、本当に助けてくれたこと、本当にうれしいです。今日は話をすることができて、牧師先生とも話をすることが出来ました。少しずつだけど牧師先生にも心を開いてきているような気がします。もっともっといろいろなことをお話しできるようになりたいです」と書いてあります。
 二歳くらいの子供が話ができたとするなら親としてはうれしいです。が、しかし、大人になった娘が人に混ざれない、話もできない。この娘は小学六年生までは普通の子供でした。教室でちゃんと勉強をして、友達とも遊び、よく近所の子供たちとも同級生たちとも遊んでいました。ごく普通の大人しい優しい性格の子供でした。その娘が大人になっても話ができない、人に混ざれない。これは相当ないじめがあったのに間違いありません。娘はいじめで精神状態が少しずつおかしくなってきたのだと思います。
 例えば、子羊一頭に何十頭の狼たちが群れをなして取り囲むと、羊はただおびえて震えているだけで、逃げ出す事もできません。このような状況で十二歳から十五歳までいじめられたために、おかしくなってきたのだろうと思います。どうしても集団で取り囲まれると圧力がかかりますので、力で押さえつけられるような感じになります。それがとても長かったので、それが怖くて話ができなかったわけです。十二歳から十五歳という一番大切な時期に、心に受けたダメージは相当なものだったと思います。
しかし、これは誰が計画したのでしょう。子供にいたずらをするなんて・・・。普通の大人達は子供に「仲良くしなさいとか、いじめては駄目だよ」と指導する立場です。それが子供に対するいたずらを頼むなんて・・・。それを頼まれた人もどうしてそこで止めなかったのでしょうか。その悪いことを知っていて、そのいじめを計画した人にそのまま協力して、それを不良たちに頼んでいじめをさせた・・・。このグループは犯罪グループで、悪質な犯罪だと思います。
 毎日、二十人以上の集団に一日五回もトイレに連れて行かれ、いじめれば、百人以上の人数になります。それが十日続くと千人以上の数になり、それが長く続くと何万人で二人の子供をいじめた事になります。どんなに怖かったのか計り知れません。それでは夢に出てきたり、頭の中から声が聞こえてくるのは当たり前です。それでも今日はいじめをやめてくれるだろう。今日こそは、やめてくれるだろうと思い、辛い思いで学校へ行っていたと思います。私達両親は教室で勉強していたと思っていました。本当にかわいそうでした。どんな人であろうと、どんな職業の人であろうとなんの落ち度もない、なんの罪もない十二歳の子供に対して、毎日集団でむごいいじめをした事は事実であり、許すことはできません。あまりにも残酷でひどすぎます。この様な人は人間として失格です。娘に対して一生涯謝り続けて欲しいと思います。
 ある日、娘が一晩中寝ないで電気をつけっぱなしにしてあり、私は心配で襖を少しあけて様子を見ていました。娘は一晩中話をしているのです。その動作はこのようにして人を指さして、それを私は見ていました。私にはすぐわかりました。心の中に思っているのが出ているのです。いじめた人たちに何かを話しているのです。
 「あなたも入っていたでしょう。あなたもトイレに押し込めたでしょう。私は何もしていないのに、神社に引っ張っていったでしょう。盗んでいないのに、盗んだって言ったでしょう。あなたも言ったでしょう・・・」と一晩中話をしていました。しかし、口からは声がかすれて少ししか聞こえないのです。怖いために、いじめられたために、声が出てこないのです。我慢していたのが出たのだと思います。私は心配なので、一晩中起きていました。
 翌朝、大きな病院に連れて行きました。診察の結果、精神分裂症だと言われました。大変ショックを受けました。「すぐこの場で入院です。閉鎖病棟に入れます。自殺の恐れがあるので」と言われました。鍵のかかっている病棟です。約一ヶ月入院して治療しておりました。その後退院させ、自宅で療養しておりましたが、精神安定剤とかいろんな薬を飲ませ、夜は睡眠剤を飲ませて眠らせていました。
 ところが、睡眠剤が切れる時間帯だと思うのですが、朝四時か五時ごろに起きていました。「どうしてお前こんなに毎日早く起きるんだ」と訊いたところ、布団の横で黙って座っているんですね。暗い部屋で・・・。そうしたら、「頭から何十人の声が聞こえてくる。それで目が覚めるんだ」と、「がやがやがやがやと頭の中で話をしているんだ」と。「何十人って何人位なんだ?」「二十二、三人位はいる」と言うのです。娘はトイレに入れられたとき、押し込まれて震えながらでも聴いていたのですね。十二歳のときのことです。それが正しい人数だと思います。それが聴こえてきて、夢にまで出てきたりして怖いというのです。それから自殺する三、四日前ですが、教会の奥さんに会いに行っているんですね。「絶対その声は聴かないように。それはサタンの声だから。悪魔の声だから聴かないように」と言ったのですけどね、と奥さんは言っていました。
 子供の日でした。九階から飛び降りました。なぜ九階なのだろう、なぜ子供の日なのだろう、九=苦しい、その声が頭の中から聞こえてきて、苦しいために九階なのかなと、それからなぜ子供の日なのだろうと・・・。この娘がよくお姉ちゃんに話をしていたのですが、「大人になりたくない、子供のままでいたい、ピーターパンのままでいたい」と言っていました。大人になるとまた社会に出ていじめられる、家にいれば安心ということが頭に入っていたのでしょう。
 そしてその二年後、今度は同じ場所、九階から姉のほうが飛び降りました。これもうつ状態でした。
このように私には二人の娘がいたのですが、二人とも亡くしました。夢も希望も途絶えました。このようになったのは全ていじめた人たちの責任です。もし、いじめがなかったら、今日私はこの場所で話をしていませんでした。
 この話をある数人の人に話したところ、偶然に学校の先生が二人いました。いずれも年配者でした。男性と女性です。まず、男性の方はこのようなことを言っていました。「私は教員を三十五年やってきたけれど、一度もそのようないじめはなかった。一対一の喧嘩はあったけれど、一人の人間に集団でやるのは最低だ。一番悪いやり方だ。それでは娘さんの頭がおかしくなるのは当たり前だ。そして、それは学校側に責任がある。分からないわけがない。」と怒っていました。「どうして教育委員会とか役場に行って相談しなかったんだ」とも言われましたが、娘はろくに勉強していないため、なんとか高校に間に合わせたいと思って、そのことしか考えていませんでした。
 それから女性の教員、その方も三十五年やってきた人です。「そのいじめは引越ししてすぐなの?」「そうです」「それはおかしいね、誰かが頼んでいじめさせたんでしょう。しかも上級生が二十人なんて。保健室に逃げて勉強しているんでしょう。そうしたら学校は知っているでしょう。校長先生、教頭先生、いじめがあるみたいですよ、と上にそう言うはずです。」
 また、ある主婦には、「そのいじめが本当だったら、私は許すことができない。私も同じくらいの娘がいるし、そのいじめた人達の子供や孫のところに必ず何代目かには返っていくよ。映画に出てくるような、ドラマに出てくるようないじめでびっくりする。本当に娘さんかわいそうだったね」と言われました。
 それから、元警察官には、「そのトイレに入れたのは監禁状態にしたことになる。それから盗んでいないのに盗んだとするのは名誉毀損、誣告罪に値する。そして、神社に連れてきて暴行させるというのは暴力行為。それは全て犯罪だ。弁護士に頼んで訴えなさい」と言われました。四人が四人とも「学校やいじめた人達が悪い」と言いました。これが正しい人の見解だと思います。
今、妻と二人で暮らしています。娘の祭壇に手を合わせるとき、胸が痛みます。引越して行かなければ良かった、辛い思いをさせてしまった、苦しみ死なせてしまった、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、と謝る他ありません。
 男の私でこんなに苦しいのですから、腹を痛めた妻はもっと苦しい訳です。このように私たちを不幸にしたのも、子供たちを不幸にしたのも、全ていじめた側の全責任だと思います。「絶対」という言葉を使わせて頂きます。絶対、百パーセント、いじめた人、いじめを頼んだ人たちが悪いです。
 最後に、妻のメッセージがありますので、読ませていただきます。
「二人の娘を授かり、すくすく育っていく姿を見て幸せを感じて過ごしていました。茨城県に引越し、まさか娘たちがいじめにあっているとは思いもしていませんでした。私が最初からいじめに気がついていれば、学校に抗議に行ったことでしょう。病院に入院し、娘の症状が次第に変わっていくのを見て、涙が止まりませんでした。なぜ娘がこんな病気になってしまったのか。私はいじめた人たちも同じ苦しみを味わい、同じ病気になってもらいたいという気持ちです。これから娘たちは結婚もし、子供もできたことでしょう。私も孫を見られたかも、と夢がありました。それをいじめという行為で、娘たちの、そして私たちの幸せを全部奪い取ってしまいました。娘が話をできなくなるほど、脅かし、苦しめ続けた人たちを私は許すことができません。」
 これで終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

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