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遺された物への追憶   K(コス)・M(モス)

 今朝も炊きあがったご飯を、ぐい呑みほどの大きさのお茶碗に盛りつけて仏壇に供える。
 この茶碗は今は亡き長男が小学四年生の時に、学校の工作課程で創ったものである。色合いは、しゃれて現代風に言えばピンクグレーとでもいおうか。創った二つのうち、もう一方はブルーグリン、こちらはお茶専用に供えている。
 どちらもかすかに幼い指の跡が残されている。きっとその時の彼の胸は創作の期待にうねり、夢中でこねたであろうことか。私は、その残された指の跡をなぞり、また時には胸にかき抱き息子を思慕するあまりに、幾度か忍び泣いた。
 数年前この地に移住するとき、私は食器類の多くを思いきって処分してしまった。それが息子が亡くなってから、急にこの茶碗のことを想い出した。思いつくかぎり大探しをしたがどうしても見つからない。もう捨ててしまったものと諦めていたところ、それが思いがけない所から出てきたのだ。「あったッ!あったッ!」私は狂喜した。俗にいうこれが虫の知らせというものか。これだけは捨てられなかったものとみえる。だが、まさか!鬼籍に入った息子専用のご飯茶碗になろうとは誰が想像出来ようか。おそらく彼自身も自分がこねた茶碗のことなど憶い起こすこともなく逝ってしまったことだろう。
 彼がいなくなって二年二ヶ月、部屋はいまも在りし日のまま。ベッド、机はいうまでもなくとりわけ宝物であった何丁かのギター、夥しい数の書籍類、CD、等々が、まるで外出している彼を待っているような感じである。「あの子はアンタ達をほっぽって置いて、どうして帰って来ないんだろうね。イヤ、でも一旦、十万億土とやらの道に向かったのだからきっと、帰って来るにしても容易ではないのかなぁ。けど早く引き返してくれないと母さんと行き違いになっちゃうよね」ふと、気がつくと私はこれらの遺品にときどき語りかけている。何と虚しい語りかけだろうか。そして、いつも自分の吐いた言葉の余韻が、まるで虫の羽音のように頭の中でしばらく騒がしく、だが、それもやがてゆっくりと消えてしまうとそれまでの何倍かの寂寥感が襲いかかってくるのだ。
 それはよく晴れた秋の日のこと、玄関の戸を開け放ち、風通しのよいようにシューズボックスの扉も開け放した。と、一番下の段に並んでいる長男の靴が目に飛び込んできた。茶、黒、ベージュ。かつてはどの靴も、通勤とか出張、あるいは海外出張、友人との飲み会、ライブハウス等々、コツ、コツ、コツ、と石畳を踏んで玄関に辿りつく靴の音は、私の胸に平安をもたらしてくれたものである。並んだ靴を手に取ってよく見ると、その殆どにうっすらと黴が生えている。今更のようだが、私はここでもまたもや彼の死を再認識しなければならなかった。黴の存在はとりもなおさず、息子の「かくも永き不在」を否応なしに物語っている。彼の死をどこかでまだ認識したくない私にとって、黴を目にすることは新たな衝撃にほかならない。
 靴は爪先が薄くなっていたり、内側が減っていたりしている。愉快な日、憂鬱で寂しい日、噴き上げるような怒りの日もあったかも。それらの想念を包んで彼を運んだ靴のどれもが私にはひどくいとおしい。「もう一度このブーツを履いてあの音を聞かせて」思いはいつしか呟きになっている。足癖の悪い彼がよくそうして脱いでいたように、磨き終えた靴の一足を玄関の土間にハの字に置いてみた。すると、まるで彼が二階にいるような錯覚を覚える。今度は片方を転がしてみる。錯覚はますます濃くなった。私は激しい動悸に胸を波打たせながら、彼の姿を求めて二階へと階段を駆け上がらずにはいられなくなった。

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