海に果つ(N・I)

 それは、二年前の初秋の頃のことである。その日、私は町内の婦人部の交通安全のお手伝いをする日になっていた。が、私は三ヶ月前に割り振り表を渡されたその日から何故かその当番に気が重くてしかたがなかった。今にして思えば、それは後に起こる出来事を私の中に住む?何者かが予知をしていたに違いない。

 ともあれ、その当日こども達の登校時間帯に合わせて交通安全の小旗を手に私は交差点の端に立った。信号が青に変わると小さな児童を機敏に渡らせたり、足のわるいお年寄りには手を貸したり四方八方に神経を張りめぐらせ寸時も気の抜けない作業である。しかし、いったん一斉に車が動き出すと、またもや、昨夜無断外泊をした息子のことが妙に気になりはじめた。

 普通、世間一般の常識からみれば三十歳をすぎた男が例え一晩や二晩戻ろうと戻らまいと、そうまで心配するか。と言われそうだが私が六十歳を越える頃からいつまでも夕食がかたづかないことを気の毒と思ったのか、二人の息子たちは遊びでも仕事でも遅くなるときは必ずや連絡をしてくるのが通例になっていた。おおげさのようだが、これはやはり我が家の緊急事態であったのだ。

 折しもちょうどその頃、やれクラクションを鳴らしたとか、追い越しをしたとかささいなことに言いがかりを付けられ、何処までも追いかけられて人気のない所で暴行をうける事件が多発してもいた。私は前夜から秘かに何度そんな場面を想像して心を凍らせたことだろう。交差点を夥しく行き交う車輌の中に息子の乗る茶とベージュのランドクルーザーの姿を一刻も早く見いだして私はひたすら安堵したかった。よもや、彼が海ぞこ深く永遠にもの言わぬ冷たい骸となって横たわっていようとは知る由もなく・・・・

 彼は殊のほか海がすきであった。山の陰鬱さを嫌い海を好んだ。星座までが魚座であった。まるで海の申し子のように何時間も船に揺られて家族中が船酔いで苦しんでも彼だけが船酔いをすることもなくケロッとしていた。彼の「死因」には、医学的にも生活的にも断定を下すには多くの疑問が残されている。だが、ただひとつはっきりと言えることは、彼がもうこの世の何処にも存在しないことは事実なのだ。彼が最期のとき、その薄れていく意識のもとにたゆたう波に抱かれて、せめて平穏でやすらかに逝ったと思いたい・・・・

 あの日彼が出掛ける時、庭にまるでコスモスとは思えないような大輪の黄色の花が風に揺れていた。彼は車のキーを持った手で軽く花を撫でて門を出て行った。なにもかもあの時と同じなのに、彼だけがいない。そしてまた二度目の秋を迎える。

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